年を重ねてきたのが原因だと思いたくはないけれど、ここ数年は特に「無気力」な状態がひどい。
何をするのも面倒に感じてしまい、休日には欠かさず行っていた食料品の買い出しですら最近は面倒で行けていない。
食料品の買い出しはもっぱらネットスーパーを使うようになってしまった。
それだけでなく、アマゾンや楽天などインターネット上でなんでも揃えられる時代になってきたのが災いして(幸いして、とも言えるけど)、ここ数年の私は目に余るほどに怠惰な生活を送っている。
一方で、ほしいものがあれば自らつかみ取らないといけないということも分かっている。
今のような生活を続けていては、ほしいと思っている(筋肉や充実した休日、友人関係など)ものなど何一つ手に入れることが出来ないことは自明。
ならば努力して自ら動かなくてはならない。
いつもそう思うのだけど、いざ自由に使える時間を目の前にすると、途端にだらけたくなってしまうのだ。
休日は常に何かをしていて、家で何も考えずにだらだらと過ごすことなどない。
そんな充実した生活に憧れつつも、今のような怠惰の限りをつくした生活に心のどこかで安心感を持っているのもまた事実。
これが年のせいだとは思わない。思いたくない。
実際、世の中を見渡すと、年齢など関係なくアクティブな人はアクティブだ。
でももしかすると、年を重ねるにつれて様々な病気に罹患する確率が徐々に上がっていくのと同様に、年を重ねていくにつれて無気力になる人の割合が増えていく。・・のかもしれない。
もしそうだとすれば、もうひたすら自分自身との闘いなわけだ。
己の中に鎮座する無気力との闘い。
でも、そうなるとやはり考えてしまう。
歳を重ねていくほど己の無気力に勝つのが困難になっていくということなのだから、若い元気なうちに、己の無気力に打ち克てるうちに。
手に入れたいものをしっかり手に入れておくことが吉なんだろうな。
己の中に鎮座する無気力は、付き合いが長くなるほど大きくなっていく。
放っておくと際限なく成長していくこの「無気力」、一度大きく育ってしまったら最後、ここから小さくするのはかなり困難だ。
困難だが、諦めるわけにもいかない。
手に入れたいものがあるのだから。
その「欲しい」という気持ちだけが今の自分にとって、己の無気力と戦う唯一の武器なのだ。
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